仏法遙かに非ず、心中にして即ち近し。
仏法遙かに非ず、心中にして即ち近し。(ぶっぽうはるかにあらず、しんちゅうにすなわちちかし)
簡単にご説明いたしますと「「仏さまはそんなに遠くにはいないよ」「本当は自分の中ににいるんだよ」といった意味になります。
真言宗では、この世のすべては大日如来の化身であると教えます
つまり、いまここにある自分をも含めたすべてが、そのままの姿ですでに仏さまなんだ、ということです。
しかし、
例えば、
空気って、あまりにも近すぎて気づかない、し有り難みも意識できない。
それが無ければ死んじまうほど大切なのに。
両親の愛情も同じで、あまりにも当然過ぎて気付かない。
仏法(仏心)は誰でも、心の中に持ってる。
そりゃあ誰にもあります。
でも、それは、ただ持ってるだけ。
例えば、ひきだしの中に稲の籾を持ってる。
それは、それでいいのだけど、
でも、その種を何千年持っていても、芽は出て来ない。
その種を土に埋め、水をやり肥やしをやって、太陽の恵みを受け、初めて稲となる。
だから、「仏法遥かに非…」は、
それであなたが
仏だと言う事ではない。あなたは、ただ種を持っていると言うこと。仏の種を持ってるということ。だけ。
あなたは努力しなければならない。貴方はもっと慈悲深くならなねばない。
そして、自分に気付き、自分とは何かを知らなければならないのである。