七五三の頃(不二)
11月は丁度、七五三のお祝いの時期ですね 。
ここはお寺ですが、うちの子供たちは、つくばみらい市の不動院さんで成長安全の
ご祈願をして頂いてます。
お医者さんも、自分の子供が病気の時は近くの小児科医院に連れて行くのでしょうか…
昔、うちの子供が小さい頃(七五三の頃だっと思いますが)、
突然、「俺ね逆立ち出来るよ!」と言って来た事がありました。びっくりしました。
逆立ち出来ることにびっくりしたのでは無く、
この間まで 「悠真(仮名) ね、走るの速いよ! 」とか
「悠はね、自転車乗るのうまいよ!見てて!」、「 それ悠ちゃんがやる! 」 等と
三人称単数で自分を呼んでいたのに、突然、自分を「俺」と表現したのです。
(保育園で覚えて来て、ただ面白がって使ったのかもしれませんが)
子供はまだ、自分をハッキリとは世界と分離させていません。
他人と自分との間に明確な区別が出来ていない。
自分という概念が無いのかもしれません。
まだ自我が生まれていないのです。
自我とは「世界との分離」を意味します。
分離によって自我は「それ以外のも」と摩擦を発生させます。
摩擦によって苦しみが生まれます。が
しかし、自我は大切です。摩擦する自我は科学を、文化を、芸術を生み出します。
私はいつ頃から、自分が「いる」ことを意識しはじめたのか、覚えていません。自我が無かった頃の記憶がありません。
更にもう少し人間が未分化の状態だった頃に遡ってみると、
赤ちゃんは、手足をバタバタさせながら自分の足を食べているのかしゃぶっているのか、「自分の身体」と「他の物体」との間に境界線が無いのか。
「子供は仏様だから何をやっても許される」と言う人がいます。
「仏様の心」はあらゆるものを区別しません。
仏様にとっては全てのものが自分なのです。
自分(仏様)以外のものが存在しないのです。
だから、仏様とっては人間の苦しみや喜びは全て自分のことなのです。