自由

猫ちゃん

グリーンフィールドルーイとDロイです。2匹とも今はいません。ロイは昨年の夏に4才の若さでガンで亡くなりました。
どちらの猫も、家の中で飼っていたので外の世界に憧れをもっていました。
よくガラス越しに窓辺に座って、庭に遊びに来るよその猫や、小鳥の動きに興味を示していました。

2匹とも時々、脱出を試みてはいましたが、いつも飼い主に脱出は阻止されていました。
ある時、一瞬の隙を突かれドアの隙間からスルッと外に逃げ出した事があって、急いで追いかけましたが見失ないました。家族で名前を呼んで捜しましたが見つかりません。
ついに捜すのを諦めて、その日は夜8時頃に食事も済ませて「今ごろどうしてるのだろうなぁ」と心配していたら、「ニャ」っと玄関あたりで鳴き声が!
あれ! 一人で(一匹で)帰って来たのです!
「どうしたロイ?あんなに自由を求めていたのに」、「お前、自由はいらないのかい?」

私たちは「自由と束縛どちらがいい?」と聞かれれば、そりゃ自由だよね、っと答えます。
しかし、本当の自由とは結果への責任と、不安と恐怖に打ち勝つ勇気が必要。です。

家の中にいたなら、多少の不自由さはあっても、定期的に貰えるご飯と、
安全の中でずーっとうたた寝が出来る。

猫じゃないけど私も本当に自由が欲しいのかな。虫がよすぎますね。私なんか多少怒られても安心な生活を護ってもらっていた方がいいかな。
民主主義国家の日本という法律と安全の中で、毎日テレビに向かって、なんだかんだ言ってる自分。
人間はある程度自由で、ある程度束縛されて、どちらもほどほどに。絶妙なバランス、中道ですかね。

それにしてもお大師様は凄い! 名前が空海ですよ!空と海!
自らの責任と勇気を携えて世界に向かって自由なお方のお名前です。

本当の自由とは手に入れる(獲得する)ものでは無く、自分(エゴ)を放棄した人にやって来るのかな…。そこには、もう自分が消え去る事への恐怖も無いし‥‥
多分、恐怖が自由への邪魔をするのでしょう。
そして離怖畏如来とはお釈迦様のことです。

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